Philosophy
理念
健康的な身体づくりで喜びをご提供
生まれ育った地域で皆様の健康的な身体づくりをサポートしたいという想いから、ケガの予防や痛みなどに寄り添ったケアをご提供しています。オステオパシーという考え方を利用した施術で、一人ひとりの持つ身体のクセやライフスタイルに寄り添うメニューをご提案いたしますので、ぜひお気軽にご相談ください。アスリートの方にも対応しており、幅広い世代の皆様にご利用いただいています。
理念
枠にとらわれず「良くなる」ことに
向き合い
立ち上がっていける
場を提供します
向き合い
立ち上がっていける
場を提供します
設立まで
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学生時代のサッカー競技時に、怪我や痛みを抱えていたこともあり、スポーツに関わりたいと考え、千葉県にある整形外科クリニックに新卒で就職しました。クリニックでは子供からシニアの方までの幅広い年齢層の整形外科疾患の方のリハビリを担当。業務とは別にスポーツトレーナーとしてゴルフ、サッカーに関わりました。某高校ゴルフ部に週2回練習に帯同し、トレーニングや選手の希望する動きを実現するための施術をしました。大会があれば会場まで帯同してケアを。その後の大学サッカー部では、痛みや怪我の不安を軽減しながら、競技力を高めていくためにはどうすれば良いかを考えたり、「チームが勝つためには」といったレベルまで考え活動をしていました。しだいにチームが勝つためにはより個を高める、良くすることが結果につながるという考えが強くなってゆきました。
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スポーツに限らない
組織・集団において、互いの助け合いによって補うことはメリットばかりではない…。臨床3年目の終わりに一事業所リハ課の主任を拝命しました。スタッフ20人強と目標に向かって進んでいくこと、自身で束ねていく楽しさ難しさ、達成感、いろいろなものを経験し感じた事があります。「強い個が集まり、同じベクトルを向いている集団が強い」ということです。苦手な所、弱い所は誰しもがあると思いますが、それよりそれぞれの良い所を持ち、高めていく。そういった人間が集まった組織が強いのだと実感したのです。
これはトレーナーをしていて気付いたことと同じです。 -
自分自身が伸びていない…
1日200人ほどの患者がくる現場において、主任として事故のないように、より良くしようと考え行動している中で、自分自身よりも周りばかりみることが増えてしまいました。この状況で、自分の目の前の患者への意識が薄くなっていたのは自明です。大変申し訳ないことをしてしまいました。
この年、過去最高の事業所の売り上げは達成できたのですが、内容はどうだったのか?自分の治療はどうだったのか?と振り返った時に、良い気持ちにはなれませんでした。
モヤモヤとともに主任の任を解かれ、トレーナーもやめ、自身の成長のために進学を考え始めていました。 -
徒手療法の大学院に
母校に徒手療法の実践的(実技中心)な大学院があり、そこへの進学を目指しました。大学在学時にもお世話になった先生の院で、自身の理学療法士とはどんなものかなど基盤となるものを与えてもらった方だったこともあり、是非学びたいと考えたからです。
しかし、その院の新規募集がなくなり、ちょうどその頃にボバースという、理学療法の世界ではもっとも有名なひとつの治療概念との出会いがありました。所属しているクリニックでその講義を受ける機会に恵まれました。 -
新たな領域を本格的に学ぶ
ボバース概念を学び始め、最初は何が何だか?という感覚でした。今までとは異なり”中枢神経系”の話が盛りだくさん。治療技術にしても???がずっと頭の中にありました。ただ、話は面白かったですし、自分の足りないものがここにはあるのではないかと感じながら一年間講義を受けました。もっと学びたいという想いが高まってゆきました。生まれ故郷の上伊那にボバースをしっかり学べる病院があることも知っていました。
ちょうどその頃、子どもも成長し、そろそろ出身である長野県上伊那郡辰野町で子育てのためにも戻りたいと考えている時期でもあり、戻ることにしました。 -
目の前の患者がどう変わるか
相手の身体がどうなっていて、そこをどうしたいかでやり方を選んでいく。至極当然のようですが、それまでいわゆる ”治療法”つまり肩の可動域をよくしたければこれ!という選択の仕方が多かった私にとっては、その考え方についていくのも難しく、さらに「腰が痛い」「膝が曲がらない」といったレベルではなく「ベッドから起きることができない」「座っていられない」「歩けない」という患者さんに何をして良いのかわからなかったのです。見様見真似で今までの自分が得てきた技術と合わせよう日々過ごし、学ばせていただきました。とても奥深い世界で、人間のもつ回復力をみました。 -
病気以前と”同じ”には戻らない
回復期病棟というリハビリを徹底的に行う病院に所属していました。病気になられた方の中でも回復が見込まれる方が主に入院される病棟です。重症度には幅もあり、ほぼ病前と同じレベルになる方もいらっしゃいますが、何かしらの機能、能力が低下されて退院される方が大半です。「リハビリをすれば元通りになれる」ということはありません。体の一部がもとには戻れない程に損傷、破壊され、体の機能や能力が低下したわけで、その大本が完全に戻らなければ、失った機能、能力も元通りになることは本質的にありえません。 -
病気になる前に関わりたい
リハビリして良くなっているのは、それまでとは違う方法などを会得して同じように動けるようになったということです。人間には回復力とともに「適応力」が非常に高く備わっています。姿勢や歩き方は個人差は一般の方がみても気づくことがあるほどですが、移動するという目的は達成できます。一方、動物の個体差に気づくことはなかなか難しいでしょう。運動機能が低下している動物は死に直結するため、みかけることはほとんどないかと思います。最低限何とか動けるとなれても、自身の身体を思いのままに動かせないという切なさは多くの患者が思っておられたと感じました。そうなる前の段階で関わり、予防に寄与できないかと考える一端となりました。 -
年のせいとは限らない
病名がつくつかないは医師に診断してもらうかもらわないかという話にもなりますが、病名で判断するのではなく「体の状態がどうか」というのが大切ではないかと考えています。生きとし生けるもの日々全く同じ状態ではいられません。天候、食物、学校・仕事、全く同じ日常はない中で、心身も対応し変化しているはずです。その積み重ねが年齢とともに現れていることも多分にあるわけです。「年だから」と説明の第一声に言う医療者がいます。同じ年齢の人が全員同じ状態になっているでしょうか?交通事故などの予測不能な事態による怪我、病気は別として、それらは徐々になってゆくもののはずです。時間経過は当然一つの要因としてはありえますが、目の前の人がそれが一番の要因であるとは言い切れません。ある意味年のせいにするのは患者との落とし所として塩梅がいいのです。 -
体の状態をどう判断するか
体に一切触れずに診察されたことはないでしょうか?
レントゲン、血液検査をみて、薬を処方。それらからみえないものは…?実際血液の流れや心臓の拍動など、生きているからこそ体中が大なり小なり動いているはずです。死んだら動きはありません。それらの動きの質・量がその人の身体の状態を教えてくれます。画像や検査値にでているレベルはかなり進んだ状態です。そうなる前に関わるためには体が教えてくれるものを拾っていかなければいけません。
これを自分でも理解し、それをみていけるようになりたいと考えアメリカ発祥の医学「オステオパシー」の世界に飛び込んでいくこととなりました。 -
オステオパシー
● 人間は一つの動的な機能ユニットである
● 身体には自己治癒を行う自己調整メカニズムが備わっている
● 機能と構造は相互に関連し合っている
● 合理的な治療とはこれらの原理に基づいたものである
オステオパシーは、上記4つの原理を基に様々な治療法を作り出してきました。カイロプラクティックや理学療法の源流とも言われています。もっともアメリカにおいてオステオパシーは医師免許です。投薬、手術、徒手療法何をしても構いません。日本では医療として認められておらず、民間療法という位置づけです。しかし、自分自身理学療法士として働き患者さんに関わってきた中で、オステオパシーの原理を用いて関わることで、変化の仕方が変わったと感じることが多々ありました。
オステオパシーに関しては追々紹介しようと考えています。 -
関わる機会が少ない…
病前に関わりたいと考えた時に、病院に籍をおいていては関わることが難しい状況にありました。病院ですから、多くの方は「病気になったかもしれない」と思った時点で受診されることがほとんどではないでしょうか?理学療法士は医師の処方があってはじめて、患者さんに理学療法を提供できます。医師が理学療法(リハビリ)の必要性、有用性があると考えなければ、患者さんはそういった治療を受けられない仕組みになっています。 -
医療の枠から飛び出す
障害予防に関わりたいと考え始めた理学療法の世界。とてもやりがいのある仕事であると思います。ただ、医療保険のシステムや社会的、組織的、個人的な不一致などは必ず起こります。また現在の日本の主流にある西洋医学(アロパシー:対症医学)に漏れる患者さんも多くいらっしゃることも実感しています。症状は明らかに自覚的にあるのに「検査では何もないから、わからない」と言われたことのある人もいらっしゃるのではないでしょうか?体全体の所見をみずに「わからない」はどうなのかと思っています。そういった方にもしっかり全てをみて考え得るものをお伝えし、対処できることがあれば提供したいと考え、当院を設立しました。